クババのキューブはある概念に例えた比喩
以前の動画ではクババと同一の神の存在を見出し、昨年放送されたやりすぎ都市伝説で登場した「クババのキューブ」とは比喩であるとお伝えしました。
その前置きとして、クババの特徴とある神様の特徴には一致点があるということから同一存在であると述べましたが、その神様というのは人の姿をしているのにも関わらず、本当に人の姿をした神様が実在したという訳ではないということです。
古事記と言霊から考える
実は、日本神話には神々がたくさん登場しますが、こちらが記載されている古事記は精神構造を言葉の神に見立てて、具体的にわかりやすく教えていた書物であるということです。
このことについては、コウジさんが動画でわかりやすく説明されていますので
気になる方はそちらをご覧ください。
今日はこの「古事記と言霊」からクババのキューブとは日本神話の中に出てくる
「黄泉の国」なのではないかという考察をさせていただきます。
クババと同一視される存在
私は以前の動画で、クババ=イザナミなのではないかという考察を述べさせていただきました。
クババの姿や所有物にイザナミと共通点が見られるということが理由です。
イザナギ・ミが表す言霊
先ほど古事記は、古事記は精神構造を言葉の神に見立てて具体的にわかりやすく教えてくれている書物であると述べましたが、では、イザナミが表す精神構造や言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
一から話すとかなり長くなってしまうので、端的に簡単に説明させていただくと、まず主体である見る側と客体である見られる側の2つの側面があります。
イザナギとイザナミは意志の意味である言霊イを表していますが、イザナギは主体のイ、イザナミは客体のヰという違いがあります。
イザナギは古事記に16番目に登場する神様で、イザナミは17番目に登場する神です。
イザナミの子産みは子音の創生
二人は共同で子産みという比喩表現で、実際は神様の子たちではなく、32の子音という言葉を作ります。
子音というのは父韻と母音の掛け合わせによってできます。
例えば父韻のkの後に母音アを組むと、カという子音ができるというイメージです。子産みの子というのは子音の子の意味であり、子音の生成という意味で比喩として用いられた表現であります。
イザナミ海外へ飛び立つ
実は、子産みである子音を産んだ後はイザナミは役目を終えて日本から、
海外に向かうことになります。
これも実際にイザナミが船に乗って海外に向かうということではなく、
外国の言霊や精神構造を確かめに検証しに音図の外に出たようなイメージです。
これまでの言霊の舞台は主体である日本でしたが、主体である日本から客体である世界に出て今まで日本しか知らなかったけど、他のところの精神・文化・言葉を調べに行ってくるか・・・みたいな感じです。
外国は洗練された言霊原理のない文化が興廃を繰り返す国であり、精神の理想の構造原理が備わっていない客観世界とされており、イザナミは心の内に理想の精神構造の自覚を持ちながら、更に未完成の混沌とした客観世界に出て行ったということです。
ではこの、日本ではない客体の世界が古事記ではどのように表されているのでしょうか。それが、「黄泉の国」
クババのキューブは黄泉の国
古事記ではイザナミの姿や性格があまりにも変化するので、不自然だなと思いませんか?
私は最初、女は豹変することを古事記では教えているのかなと思っていました。
クババ=黄泉津大神
さて、以前の動画で、クババ=イザナミかもしれない、特に黄泉の国に行った後の尊称「黄泉津大神」に近いのでないかと述べさせていただきました。
そちらと繋がることになるのですが、昨年のやりすぎ都市伝説の番組内で関暁夫さん曰く、クババが人間をシミュレーションのキューブに閉じ込めたということでしたよね。
関暁夫さんが「キューブ」を用いる意味
なぜキューブというのかは、キューブとは立法体ですので空間を表すことにはなりますが、同様に立体である、球や三角錐、直方体ではなくここにキューブが用いられたことに大きな意味があると思います。
そしてイザナミが向かった黄泉の国ですが、これはヨモツクニと言います。
大和言葉一音一音には意味があって、イザナミが向かった世界をヨモツクニと名付けたことにもちゃんとした裏付けがあります。
四方津国の意味
ヨモツクニは黄色い泉国と書きますが、他の書き方として「四方津国」でヨモツクニとも表されます。
この四方津国の四方は日本から見て四方八方の四方(東西南北)であるつまり客体の外側と、津というのは「物へのこだわり」の国であるということです。
それが黄泉の国「ヨモツクニ」ということになります。
そしてクババのキューブですが、一方から見ると四角形に見えます。
ご存知の通り、クババは西洋に伝わった神様ですので、主体の日本から見たらクババは客体の西洋ということになります。
つまり、関暁夫さんが述べられていたクババのキューブとはクババ=黄泉津大神になった後のイザナミを表し、キューブとは四方津国を表していたと考えられます。
ここでいう四方津国は洗練された言霊原理のない文化が興廃を繰り返す国であり、関さんが言霊原理を知っていたとしたら、精神の理想の構造原理が備わっていない客観世界を「クババのキューブ」という独自の表現で伝えられていた可能性があると考えております。
関暁夫さんは言霊学を知っていた可能性がある
ちなみにYouTubeライブで語られていた「自我の宇宙」という概念や「二元論ではなく三元論」というのは「古事記と言霊」では欠かせない基礎的な概念です。
イザナミの身体に湧いた「ウジ」
また、四方津国に行ったイザナミの体にはウジが湧いていたという記述があります。
もちろんこちらも比喩表現で、本当にイザナミの体が蛆虫だらけになっていたということではありません。
これは「ウ」の字のウジが体に張り付いていたという意味です。
ここでいう「ウ」とは言霊ウが五感作用に働きかけて出た「欲望の産物」で、精神からではなく万物の姿に即して作られた文字や学問のことを言います。
それらの文化がゴロゴロなって自我を主張していた姿の比喩であるということです。
つまりクババのキューブの中にいる人間とは 「物質的、欲望に囚われた人類」
動画で度々出てくる「目を覚ませ」とは、本来の日本は物・金主義ではない
精神文化だった、その精神性を今思い出せというメッセージなのかもしれません。